Y駅、そして9号線

Y駅を出ると、目の前はロータリー広場である。ロータリーと言っても、直径1mほどの円型フラワーポットが設置されているに過ぎない。しかし、これがあるだけで広場に入って来る車もバスもタクシーも、全て時計回りに流れることになる。バスはぐるりと回ってそのまま、時計で言えば10時の方角のバスプールに入庫する。

 子どもの目の高さにはだだっ広い広場に思えたが、今見ても十分に広い。元々雪除け地を計算に入れてのことだろうか。その広場を囲むように、バス営業所、パーマ屋、食堂、物産店が並ぶ。今、営業しているのはバス営業所だけである。

 駅を出て真っ直ぐに100mほど進んだどんつきに商店街が、線路と平行に伸びている。はずだったが、ない。あるはずの店はバラス敷の空き地になり、背後に小さな山が見えている。その中腹、色付きかけた樹木の間に、赤い鳥居が細く埋もれている。ということは、上に登る坂なり階段なりがあるんだろうな、など思いながら、少し町筋を歩いてみた。

 シャッター商店街ではない。個人商店の酒屋や赤青白のサインボールがうねうね回る理髪店、婦人向けの洋品店の他、メリヤス工場も営業していた。カッシャンカッシャンカッシャンと機械を動かす音がしている。そう言えば、このYに限らず、地方の小さな町にはよく繊維関係の工場がある。

 

 バスの乗客は4人であった。いずれも70代と思しき人たちで、会話によると病院に行く、又は病院から帰るということらしい。山の多いこの地方にあって、この辺りは平野と言えよう。川筋に沿って町ができ、商店や信用金庫、地元企業の社屋が並んだ町筋の周辺には住宅地、それを抜けると田んぼが広がる。山並みを望みつつ、空は広い。橋を渡ると、その広い空ににょっきりと公立病院の10階を超える威容がそびえる。足元には午前の日差しを照り返して、川面が白く光っている。今日は小春日和だ。

 川を左手に見ながら、バスは平地から少しずつ山間部に入って行く。次第に山が近づき、山裾から上へと広がる田んぼの間に、農家が点在する。ひつじ田の若い緑を区切る畦は刈り込まれ、この辺りは世代交代がうまく行われているのかと思わせる。右手の道路沿いにも家は多く、車窓から見る限りでは空き家や伸び放題の庭草も見られない。柿の実が朱い。いつの間にか、乗客は私一人になっていた。

 次第に上り坂になって行く道が、ループ橋に入って一気に標高を上げ、時計回りの弧を描き切ると、バスは山の中に入って行く。両側を山に挟まれ、舗装道路を走っているのに、山をかき分けて進んでいるような気になる。しかし道はすぐに開け、左前方に広々とした高原の広がりを見るのである。ここはスキーやキャンプ、山菜採りなどで季節問わず、近隣地域や都市部からの観光客を呼んできた自然の恵み豊かな地だ。

 私も一度、ここにキャンプに来た。確か高校1年の夏の課外授業だったと思う。その時の一番の記憶は、自然の恵みよりキャンプ飯よりフォークダンスより、夜中にトイレに行った時の、トイレの白壁一面に貼り付いた大小様々な蛾の大群である。よくもあそこで、しかも夜中に、更に懐中電灯の灯りで用を足せたものだと、今なら思うが、当時はキャンプ場にトイレ設備があるだけでも十分ありがたかったし、利用者ファーストの待遇だったのである。

 

 高原を抜けると、山が一段深くなる。右手に村も無くなり、落石防止の金網に覆われた山肌を避けるようにバスは進む。川は細く岩がちになり、谷底のようだ。目を上げると、屏風をドンドンドンと置いたように重なり合った山々が前方から迫ってくる。この辺りは空よりも山が大きい。誰も名勝地として褒めそやさないけれど、これはまさに景勝と見る間に、バスは次のトンネルに飛び込む。

 いくつものトンネルと小さな古い城下町を抜け、ダムの横を通り過ぎた先に川沿いの村々が現れる。目の前は難所、H峠。祖母の村は、峠の麓にある。