天然ジュレ

 ジュレという言い方であれ、ゼリーという言い方であれ、今ではああいった食感のものは珍しくないし、果物をかたどった容器に目も舌も喜ばせるみごとなスイーツが入っているものを見てもさして驚かない。昭和の中頃、一般家庭では〈ハウスゼリーミックス〉や〈ハウスプリン〉などが、定着しつつあったのか?どこの都市からも遠い田舎町の私の生活にはまだ入って来てはいなかった。しかし、今思うと、あれって天然ジュレだよなぁ〜と思うものがある。みのがきである。

 美濃柿ではない。漢字を当てるとしたら〈実柿〉かな?それは冬の日、紙箱に規則正しく10個ほども並んで祖父のもとにやって来た。近くの村の知人が、祖父の好物だと知って届けてくれたのである。その男性の家で作ったもののようだったが、干し柿のように手間をかけて作るものではないらしい。みのがきは柿そのものの形のまま熟れきって、少し透けるようでさえあった。全体が満遍なく朱々としてぴんっと張っている。祖父はそれをてっぺんから皮を少しずつ破り、スプーンですくって食べるのである。まさにえびす顔だった。「やらかいや?(あげようか?)」物珍しげに眺める小さな孫に祖父が言う。私は首を横に振る。お相伴に預かりたかったのではない。ただ単に珍しかったのである。

 「食ってみりゃあええにい。うみゃあにい。(食べてみればいいのに。美味しいのに。)」じゅるっ!と果肉をすくったスプーンを吸い、その甘さと冷たさに祖父は集中し始めた。時折スプーンからどろりと果汁が糸を引く。祖父のスプーンは止まらない。私には何が美味しいのか分からない。その情景を思い出すたび、冬の夜の湯上がりの寒さとともにあの柿の実の朱さを思い出す。あれから50年以上経って、私は未だにみのがきを食べたことがない。